一渧(いったい)をなめて大海をしり、一華(いっけ)を見て春を推せよ。
『開目抄』
2025年新春を迎え、心新たに期待と目標を掲げ 、多くの人が「今年こそ……」と強く念じたことでしょう。
戦後80年、昭和から100年。いわゆる激動の昭和と言われるが、良いことも悪いことも、うれしいことも悲しいことも、楽しいことも辛いことも色々あった。
生活環境・社会環境も大きく変わり、人口減少・少子化、核家族化、温暖化・異常気象現象、地震・災害等々深刻な問題が山積し、私たちが生きて行く上で悩みも増した。
世の中には一概に推測できないこともしばしばあるが、一つの現象の中にいろいろな事象を予測することは可能である。
日蓮聖人は冒頭の言葉にもあるように「一滴(いってき)の海の水をなめて大海の潮の味を知り、一輪の華の咲くのを見て春が来たことを推察せよ。」と述べられております。仏教では一華(いつけ・いちげ)を、悟りを求める心(菩提心)にたとえることがある。つまり、「一を聞いて十を知る」という言葉があるように、すでに「一」にすべての事象が集約されており、お釈迦さまの一切の智慧が収まっているということである。
『開目抄』のこの前後の文章で、様々な例を挙げながら法華経とそのほかの諸々の経典と、どちらが勝れどちらが劣っているかは「一」を知ればおのずから推察できるはずであると言う。
戦後80年、昭和から100年。この大きな節目を顧みて、世の中を見直し、高い洞察力とすぐれた推察力をめぐらし物事を見つめる必要がある。
令和7年 元日
日蓮宗本山 池上 大坊 本行寺
住職 中野日演