三十番神画像
大坊池上本行寺は、弘安6年(1283年)に建立され東京都の史跡に指定された日蓮聖人ご入滅の舞台となった「ご臨終の間」などを有する歴史あるお寺です。「ご臨終の間」は昭和11年に東京都の史跡に指定されました。
また、法華経板木をはじめ、日蓮聖人坐像、本行寺文書、三十番神画像、題目板碑と板碑群、池上宗仲夫妻坐像といった様々な文化財を有しています。その一部をご紹介します。
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妙玄等師本尊池上本門寺24世・妙玄院日等筆。永代紫衣初祖。「享保八(1723)癸卯暮孟冬日」「御三方尊霊御位牌所常住本尊」とある。縦48.3cm×横34.7cm。
現師書状池上本門寺/大坊本行寺11世・仏寿院日現筆。「天文四(1535)年乙未三月二十四日」とある。縦31.0cm×横47.5cm。
日専上人本尊大坊本行寺27世・大道院日専筆。大坊顕之字法類初祖。「寛政元年十一月己酉年霜月大吉祥「授与之弟子顕朗日然智慧明了多聞強識者也」「飯高講寺(飯高檀林・立正大学の前身)百七十五世日専」とある。縦74.5cm×横33.0cm。
宗祖涅槃図版画弘安5(1282)年10月13日の宗祖御入滅の様子を描いたもの。
縦63.3cm×横55.6cm。これに色彩をほどこしたものが、壱幅2.500円で現在でも授与されている。
近衛信尹書状近衛信伊(=このえのぶただ。1565-1614)。平遠州宛 慶長16年7月6日。紙裏に信伊の花押と平遠州の宛名がみられる。平遠州は小堀園江守政一(1579-1647)のこと。文中に加藤肥後守清正の死去を報じている。
三十番神画像と付属添状墨蹟身延山久遠寺22世・池上本門寺16世・心性院日遠筆の付属添状墨蹟によると、紀州徳川家の頼宜、水戸徳川家の頼房の生母である養珠院お萬の方が所願成弁を祈念して画工に命じて、この三十番神画像を書かせたことが分かる。お萬の方は心性院日遠に師事し、慶長法難では日遠の首を討とうとした家康に談判し、その後身延山を下りた日遠のために、大野山本遠寺を建立した。三十番神画像:縦119.3cm×横55.7cm。付属添状墨蹟:縦41.5cm×横52.5cm。
十界絵曼荼羅宗祖の顕した十界曼荼羅を、絵画で描いたもの。縦67.3cm×横33.3cm。
日映上人鬼子母神像大本山中山法華経寺75世・寛明院日映筆。縦35.0cm×横12.0cm。
心性遠師筆鬼子母神教化之図心性院日遠筆。人の子を食らう夜叉であった鬼子母神が、釈尊の説法に教化され法華経の行者を守る守護神へとなる様子を描いたもの。縦45.0cm×横62.0cm。
宗祖経一丸遺言之図弘安5(1282)年10月11日、池上宗仲の館で弟子の経一丸(=きょういちまる。後の日像上人)に、帝都弘通を遺言する様子を描いたもの。縦115.0cm×横42.0cm。
宗祖御入山之図弘安5(1282)年9月8日に身延山を発った日蓮聖人が、同月18日に武蔵の国千束の郷、池上宗仲の館(大坊本行寺)に到着したときの様子を描いたもの。縦115.0cm×横42.0cm。
板碑(正応3年3月28日・宗門最古)板碑とは、主に供養塔として使われる石碑の一種。縦79.8cm×横38.5cm。
妙法蓮華経版木(天正18年)総計64枚のうちの2枚。 願主池上本門寺12世・仏乗院日惺。天正18(1590)年。東京都文化財ウイーク期間中の11月3日には、一般公開される。 縦79.2cm×横28.7cm。
池上宗仲公寄進供物台宗祖涅槃図の中にも描かれている供物台。